スカイブルー


「ああ、停電だぞ」
「またあのガキか、懲りねえなあ」
「ほんっと、あんなふざけたやつがジムリーダーだなんて、この街もどうかしちまったんじゃないか」

 口々に男の陰口を叩く大の大人たち。言いたいことがあるのなら、きちんと言葉にすれば良いものを。そんな視線を送ればその三人のうちの一人がこちらの存在にようやく気が付いたようで。気まずそうな顔をしては三つの影はそそくさと闇の中へと消えて言ってしまった。――全く、小さいっからって、馬鹿しないでほしい。

(ほんと、だから大人って、きらいなんだわ)

 その場を去る三人の背中を最後まで威嚇しながら、その姿がようやく消えた時、チマリは誰に聞こえるもなく呟いた。  ふう、と細いため息をお腹の底から吐いてから、やりきれない怒りやもどかしさにまたじわりと目頭に涙玉が生まれてきて。それを流さないように認めないように、ぐいっと上を向く。だってここで泣いてしまったら、今も空で瞬く星たちと同じ頭の色をしたあの男に、泣き虫チマリって、また馬鹿にされてしまうから。

 ――どうして皆、わかってくれないのかなあ。
 彼がこの街のひとにあまりよく思われてないのは知っている。そうして今日みたいに陰口を叩かれて、その度に彼が傷ついているのだって知っている。そんな優しい彼に何もしてあげられないで今日みたいにただただ泣くのは、自分だ。  俺の為なんかに泣くなんて、優しいよなあ、お前は。そうやってまるでなんともないよってデンジは笑うね。でも、デンジのためだから、わたしは泣くんだよ。
 今もこの寒空の下できっと空を見上げているだろうあなたは、一体何を考えているの?そこはきっと寂しいね、悲しいね。暗くて、冷たいところだ。わたしがいたなら、なにかひとつだって変われるのかな。変わることが、できたのかな。  ――どうして、どうして皆わかってくれないの。気づいてくれないの。いつの間にかぽろぽろと頬を流れていた涙の存在にようやく気が付いたチマリは、ぐっと袖で拭い、顔を上げてから、蹴るようにしてアスファルトを駆けていった。だって、街を包むようにして輝くお星さまたちは、今もこんなにきれいなのに。



 ざあざあと打ち寄せる波の音と、優しい磯の香り。鴎のいない今はそれこそお化けが出ちゃいそうなくらい静かだけど、大丈夫。もしもお化けが出たって、彼が全部追っ払ってくれるから。
 足元を見たら、うっすらと足跡だけが残っていて。少し先に続くそれはわたしのそれよりも一回りも二回りも、ううん、もっともっと大きいに違いない。それに重ねるようにしてチマリは一歩、また一歩と足を大きく広げて渡ってゆく。――やっぱり、大きいなあ。自分の歩幅と全く合わないそれに、怪獣が通った後みたいだと思って、小さく笑った。

「みーつけた」

 声を掛けてみても返事はなかった。てっちりいつもよりも少しだけ目を開いて、自分の名前を呼んでくれるのだろうと思っていたチマリは何の反応もないその男の様子に小さく肩を竦めてみせる。さっきまで楽しんでいた遊びを中断させ、隣に座ってみても、デンジはこっちを見ようともしなかった。自分の下に引かれている砂たちが、今日は一段とよく冷える。



「星が、きれいだねえ」

 あなたのお陰でこんなにきれいなものが見えるのよ、と言う意味を含ませた言葉だということに、デンジは気づいていた。気づいていて、あえて何も返さない。蒼い自分の服は、闇のそれと同化してしまいそうで、なんだか酷く不安で。呑まれてしまいそうだと、不意に思った。ぎゅっと、裾の端を掴む。闇にだけは、呑まれてしまわないように。自分が自分でいられるために。

「ねえデンジ。デンジがね、ずっと昔に教えてくれたことがあるんだよ。覚えてるかなあ」

 突拍子のないチマリの言葉に、デンジはチマリが自分に何を伝えようとしているかわからなかった。チマリが自分を探しにくる時なんかは、大抵自分が関係していると決まっている。いつもはその度にチマリが泣いて、自分がチマリをあやすという妙な構図ができているのだけれど、今日はそんな様子もなくて。
 ――こいつは小さいながらに、たくさんのものを見ているからなあ。子どもは大人に比べて、感性だとか人の気持ちだとかに本当によく敏感だ。今日も、俺がいつもより少し沈んでいることにいち早く気づいて、ここまで来てくれたのだと思うとなんだか自分がちっぽけな人間に思えて笑えてしまう。(いいや、違うんだ。俺がちっぽけなんじゃなくて、こいつが俺よりもずっとずっと大きいだけで、)

「波の音は、お化けの泣いてる声じゃなくて、泣き虫なわたしを励ましてくれている声なんだってこと」

 (――ばか、違うって。それはお前があまりにぴいぴい泣くから、咄嗟に出た言葉なんだよ、嘘なんだって。わかってるんだろ?)

「あのお星さまたちは、みんなみんなこんぺいとうでできているんだよね。いつか取ってきてくれるんだって、デンジそう言ってたもん」

 (星がこんぺいとうなわけ、ないだろ。それだって、全部、全部。紛い物だ。)
 以前自分が出任せに言った言葉を、チマリが信じているとは思えない。まだ小さいこいつだけれど、もう夢と現実の違いだって、ついているはずだ。
 第一、今更言えるわけ、ないじゃないか。そんなの全部嘘だって。けれどチマリの声に、俺を咎めるそれはないように感じた。純粋に、俺のいったことを、楽しんでいてくれている、声だ。

「わたしはね、デンジ」

 そこで今日、初めてチマリを見た。紅葉みたいな形をした小さなそれが、裾を掴んでいた俺のそれにぎゅうっと重ねられる。(こんなに、小さいのになあ、お前)
 泣き虫でちびで小さなチマリ、そう思っていたのは、本当は俺だけだったのかもしれない。だって、チマリ、お前はこんなにも大きくて、ひだまりみたいで。それなのに、俺ときたら。本っ当に、なっさけねーの。

「誰よりもデンジが優しいってこと、知ってるよ」

 気晴らしに今日ここに来たまでは良かったけれど、そんな俺を嘲笑うようにここは冷たくて暗くて、寂しくて悲しい。だいすきなナギサの海のはずなのに、どうしてだろうな。つまらないんだ。不思議と、笑うこともできない。以前来たときは、あんなにも自然に笑えていたというのに。
 段々意識も朦朧になってきて風は冷たいし、何よりどうしようもなく不安で、そんな時、ひだまりみたいなどっかの泣き虫に救われていたんだ。なあ、チマリ、気づいてる?そんな時だよ。お前が、ここにやって来たのは。

 守っているつもりが、いつの間にかこんなに守られていたんだな。
 (全く、だから女ってやつはこわいんだ)



「なあ、チマリ」
「うーん?」
「いつか一緒にこんぺいとう、取りに行こうな」

 その帰り道。2メートル先でここに来るときに俺がつけてきた足跡を必死に踏んでいるチマリが、驚いたようにこちらを振り返って、それから首をこれでもかというほどに大きく振ってうんと笑った。
 (…あ)さっきまであんなにもつまらなかったというのに、気が付かないうちに自分もチマリと同じように笑っていて。本当に、不思議だ。あの時と違って、今は、こんなにも楽しい。
 そうして、ようやく気が付いたんだ。

  (ああそうだ、チマリ、お前がいるからだよ)

 こんなに簡単なことに、気付かなかったなんて なあ。本当に、どうかしてる。それでもお前は、やっぱり俺は優しいやつなんだと言って、笑うんだろう?
 (それがいまは、こんなにもいとおしい)




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